三淵嘉子の夫(和田芳夫)との出会いは?死別と再婚した三淵乾太郎についても

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2024年4月スタートの朝ドラ『虎に翼』は、女性として日本で初めて弁護士や判事、家庭裁判所長となった三淵嘉子(みぶちよしこ)さんのお話です。

三淵嘉子さんは先立たれた夫・和田芳夫さんが居ましたが、どんな出会いだったのでしょうか。

その後、再婚した三淵乾太郎さんとの出会いも気になりますよね!

今回は、三淵嘉子さんと和田芳夫さん・三淵乾太郎さんとの出会いやどんな人物だったのかについても調査しました。

三淵嘉子の夫・和田芳夫とのなれそめは?
亡くなった理由は何?

この記事を読まれている方はこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。

\この記事を読んでわかること/
  • 三淵嘉子の夫・和田芳夫との出会いについて
  • 三淵嘉子の夫・和田芳夫の死因について
  • 三淵嘉子の夫・三淵乾太郎との出会いについて
目次

三淵嘉子の夫(和田芳夫)との出会いは?どんな人物?

NHKのドラマ『虎に翼』のモデルとなっている三淵嘉子さんは、1941年に和田芳夫さんと結婚しています。

和田芳夫さんとはどんな出会いだったのでしょうか。

<三淵嘉子と和田芳夫の出会い>
三淵嘉子の実家(武藤家)で出会った

和田芳夫さんは明治大学(夜の部)に通う学生で、三淵嘉子さんの家(当時は武藤)で書生をしていたんです。

▼書生とは
明治大正時代では、住み込みで雑務をこなす学生のことをいう

詳しい出会いについては情報がないのですが、和田芳夫さんが下宿していたことから仲良くなっていったのかもしれませんね^^

和田芳夫さんの人物像についても情報はあまりありませんが、優しい人だったと言いますよ!

結婚後も夫婦で仲良く暮らしていたそうです。

ちなみに和田芳夫さんは、三淵嘉子さんの父の友人の従兄だったとのことですよ。

三淵嘉子の夫(和田芳夫)の死因は?死別したのはいつ?

和田芳夫さんは、三淵嘉子さんの実家で出会って1941年に結婚し、2人の間に和田芳武さんが誕生していました。

しかし、その後に和田芳夫さんは亡くなっているんです。

どうして亡くなったのか、その理由と時期はこちらです。

死因と死別した時期について

▼死因
肋膜炎で病死

▼いつ亡くなったのか
1946年5月23日

和田芳夫さんは1945年に戦争のため中国へ出兵していましたが、そこで肋膜炎になりました。

肋膜炎とは…
胸膜に炎症が起こる病気で胸膜炎とも呼ばれる

中国から日本へ帰る途中だったのですが、1946年5月に長崎県の病院で息を引きとりました。

その頃、妻・三淵嘉子さんは、まだ小さかった息子・芳武さんを抱えて福島へ疎開していましたよ。

最後に夫・和田芳夫さんに会えなかったといい、悲しみが伺えますよね…

三淵嘉子の再婚相手・三淵乾太郎との出会いは?どんな人物?

三淵嘉子さんは夫・和田芳夫さんを病気で亡くなくした数年後に、三淵乾太郎さんと結婚します。

2人は再婚同士だったのですが、どんな出会いだったのか気になりますよね!

<三淵嘉子と三淵乾太郎の出会い>
共通の知人の紹介で出会った

この頃、三淵嘉子さんは裁判官として東京で仕事をしていました。

三淵乾太郎さんは最高裁判所調査官をしており、判事室を出入りしていたんです。

三淵乾太郎さんの父親は
日本初代最高裁判所長の三淵忠彦さん

その後、共通の知り合いを通して仲良くなっていたそうですよ^^

三淵嘉子さんと三淵乾太郎さんは交際に発展し、1956年8月に結婚しました。

三淵嘉子さん…1914年生まれ
三淵乾太郎さん…1906年生まれ
2人の年齢差は8歳

三淵乾太郎さんの人物像については、現時点で(2024年3月27日)は得られませんでした。

しかし、週間女性PRIMEの記事には、

三淵乾太郎は嘉子にべったりで、それをよく思わなかった長女と嘉子が言い争いになることも…

とあったので、三淵嘉子さんに対して愛情の深い方だったのではないでしょうか。

また、夫婦2人でゴルフや旅行などを楽しんでいる写真が残されているそうで、仲の良さも伝わってきます♪

三淵嘉子さんの子供たちや子孫については、下記の記事を参考にしてみてくださいね。

まとめ

三淵嘉子さんの夫・和田芳夫さんとの出会いや死因について、再婚相手の三淵乾太郎さんとの出会いについてまとめました。

和田芳夫さんは、三淵嘉子さんの自宅で書生をしていたことがきっかけで出会っています。

和田芳夫さんの死因と亡くなった時期は次の通りです。

▼亡くなった原因
肋膜炎を発症

▼亡くなった時期
1946年5月23日

三淵嘉子さんと三淵乾太郎さんは、共通の知人の紹介により出会ったとのことでした。

和田芳夫さんと三淵乾太郎さんの詳しい人物像についてはわかりませんでしたが、優しくて愛情深い方だったのではないでしょうか♪

最後までご覧くださりありがとうございました。

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